2004年12月3日。
CELEBRATE Me!lbourne に到着。
ここにはオーストラリア最大のチャイナタウンがあります。実際はタウンというよりチャイナストリートでしたが・・・ チャイナタウンでは喜慶 Me!lbourne と書いてありました。
また、教会で英語を教えてくれる時間があるそうだ。タダで。聖書が教科書で、やっぱり宗教的な話が多いらしい。タダっていうのは大きいけど、ちょっとね・・・
キリスト教系の高校や大学で授業を受けたことがある人は、違和感なく勉強できるよ、と経験者が言っていました。


宗教を語るのは難しいとは思うけど、大まかにいうと
「死ぬとき悔いなく死ぬために、どう生きるか」
がテーマだと思う。方向性が多々あって、表現が違ったり、方法が違ったり。
その違いをめぐって宗教の争いが起きているような気がする。
どの宗教も本質的には同じなのに、教祖の教えは絶対で、他宗教の教え、方法や言葉とは相容れないものとしてしまう傾向が強い宗教がほとんどではないだろうか。
宗教に限らず、映画や文学の中にも本質的には同じことを伝えようとしている作品もたくさんあると思うのだが、宗教家や信者はこういう俗っぽいものと引き合いにされることを嫌がるだろうな。
政治も経済も科学も、そして宗教も100%正解の答えは無いのに、より100%に近づける努力をすることが大切なのに、「絶対」という言葉を使う。
人それぞれによって答えが違うのが当たり前なのに・・・