○○ is silver, Silence is gold.

アテネオリンピック
陸上競技場では、ハンマー投げの決勝が始まっていた。
室伏選手の投てきは
一投目、79.90m
二投目、81.60m
三投目、81.16m
四投目、82.35m
五投目、ファウル


二投目に記録を伸ばした室伏選手は、最後の投てきを残し二位につけていた。
しかし、この日室伏選手は自分の力を出し切れていない、と感じていた。


この大勢の観衆で埋め尽くされた競技場の中は、普段では考えられない状態が発生していた。


その観衆の声援はとどまることを知らず、大地を揺るがすような音が競技場を包んでいたのだ。


そんな中で、普段の感覚を取り戻せずに投てきを行わなければならなかったのだ。


「普段、投てきを行うときは自分のステップの音、ワイヤーがきしむ音、ハンマーが落ちる音とさまざまな音が聞こえます。しかし、大勢の観衆の中では、その音が全く聞こえず、自分のカラダのバランスが麻痺していました。考えてみてください、全ての音がかき消されてしまう状況のなかで、何かをすることは大変です。普段どおりにはなかなかうまくできません。耳の奥には三半規管というバランスをつかさどる器官があります。それが観衆の音によって麻痺してしまったのです。」


そんな中で、最後の投てきを控えていた室伏選手は自分の感覚を取り戻すためにどうすればよいのか考えていた。


そして、突然競技場の芝生の上に仰向けになったのだ。


「あの時はこう思ったんです。この競技場の中で真上を見上げて空を見ている人なんて誰もいないだろう。誰もが競技に集中していて声援を送っているときの、誰も見ていない空とはどんなものか見てみよう、と。それで、仰向けになったのです。青い空がありました。そして、また思ったのです。星が見えないだろうか?当然、昼間でしたから見えませんでした。でも自分の意識を、空の上の宇宙まで登らせることをしてみて星を探しにいきました。青い空から、あたりが暗くなる宇宙まで達したとき一つの明るい星が見えた気がしました。そのとき、あぁ、これならうまく投げることができる。と思いました。」


講演の中では、そのときの三半規管の状態とか、観衆の声が聞こえたかどうかという、話はなかった。


ただ、これならうまく投げることができる。


そして


六投目、82.91m


記録更新。
だが、惜しくもハンガリーアヌシュ選手が記録した83.19mには及ばなかった。


その後の結末は知っての通り。繰上げの金だった。


しかし、メダルが金か、銀か、そういうことに室伏選手の心が捉えられることはない。
ミュロンのディスカスロワーのように穏やかな表情で、自分の満足のいく投てきができる。


そこに彼の求めるものがあるのだから。