いまさらだけど映画「GO」を観た。
「北の零年」でいまいちだったと感じた行定勲監督作品だけど、他に観たいものがなかったから「GO」をレンタルしてきた。
- 出版社/メーカー: 東映
- 発売日: 2002/07/21
- メディア: DVD
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かなり好感触。
まずテーマに関係ないところから印象に残ったシーンをピックアップしてみると、
在日という題材をもとに青年のアイデンティティと差別意識をテーマにした作品だけど、レビューはこのあたりを参照にGO(2001・行定勲監督作品) の レビュー・評価・クチコミ・感想 - みんなのシネマレビュー。
全てはスペイン語でのセリフ、
「No soy coreano, ni soy japone's, yo soy desarraigado. (朝鮮人でもない、日本人でもない、ただの根無し草だ)」
に象徴されているんだと思う。
在日や移民や帰国子女など二つの文化背景を持つ若者が自らのアイデンティティで悩む話はよくある。
作品として触れたことがあるのは
Looking for Alibrandi (2000) - IMDb
http://www.cinematopics.com/cinema/gday/output.php?number=4&offset=10
- 作者: 江國香織
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 2001/09/20
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と今回の「GO」だが、作品ごとに違った結論に達しているのが面白い。
「Looking for Alibrandi」では両方の文化背景を受け入れて、自らのオリジナルのものへと昇華しようとしている。
「GO」では両方の文化のしがらみ(壁)をぶち壊して、己自身を拠りどころにしようとしている。
「冷静と情熱のあいだ」ではお互いの悩みを分かり合える同士の世界に入ろうとしている。
結論としてはそれぞれ納得のいくものなんだろうけど、個人的に共感できる価値観としては「Looking for Alibrandi」のものだろうな。
というのもワーホリでオースに行ってた時に、最終的に感じたことはゴー宣の戦争論にあった「日本から飛び出せば、結局みな日本人である。それならば薄っぺらい日本人より、濃い日本人の方が強烈な個性となりうる。」ということだったからだ。
留学やワーホリに来ている日本人で時々、日本人ばかりなのに英語で話をしている人がいた。英会話の練習だとか、せっかく外国に来たんだから英語で・・・ということなんだろうが、いつもそれが不思議でならなかった。
日本人どうし英会話をするためにわざわざ外国まで来たのですか?
違う。
わざわざ日本を離れて異文化世界に来たのは、その異文化に触れ今まで経験してきたものとは違うものを感じるためだろう。自分とは価値観の違う人と出会って、話をして、一緒に何かをして。もちろん相手だってそれを望んでいる。だからGIVE & TAKEでなきゃいけない。相手の文化や価値観を教えて教えて、だけじゃだめなんだ。相手が教えてくれた以上に自らも日本の文化や価値観を伝えなければいけない。
オースの後タイを旅行していてプーケットからバンコクへ向かうバスの中でであったイギリス人がこんな質問をしてきた。
「日本人はアメリカが大嫌いなんだろう?」
何を言っとんだこいつは?と思ったがとりあえず応えた。
「人によりけりだよ。好きなところもあれば嫌いなところもある。」
この後、音楽や映画のエンターテイメントサブカルチャーやバイオやITベンチャーに代表されるフロンティア精神は好きだが、国連を無視した政府の姿勢は嫌いだ。あの姿勢はキリスト教の唯一神以外の価値観を認めない教えに原因があると考えている。みたいなことを伝えた。
おそらくイギリス人の彼も「何を言っとんだこいつは?」と思ったに違いない。
結局、彼も自分も日本人や欧米人を十把一絡げにして話してしまったために「何を言っとんだこいつは」という印象を持ってしまったのだ。
しかしながら、十人十色、誰一人普通の人はいないと分かっていてもアメリカ人は・・・、中国人は・・・、韓国人は・・・、日本人は・・・、と一括りにしてしまう。
そのため日本を離れ外国に行ったときに、自分を日本人というフィルターをかけずに一人の人間としてみてくれ!と叫んだって、フィルターをかけずに見てくれる人はほとんどいない。しかもそのフィルターはいつも間違った偏見であることが多い。
ならば濃い日本人となって日本の価値観や文化を濃〜く語ってしまえ!
それがあって初めて偏見というフィルターが外れて、自分を一人の人間としてみてくれるわけだ。
だから語学は大切だと考えている。コミュニケーションの手段として、伝えたいことを伝えるための道具として。
窪塚が話す韓国語を聞いていてそう思った。