岡山帰省

岡山へは青春切符を使って、鈍行乗り継ぎで帰省してきました。

東京−岡山12時間

丸一日かけて電車を乗り継いでの道のり。 大学1、2期の頃は何度もやったけど、時間がなくなってからは専ら夜行バス。
社会人となったからには新幹線で、とは思っていたけど、忙しい喧騒の日々を忘れて本を読み深く考え事をする時間が欲しかった、というそれらしい理由のもとゆるりと帰省しました。

しかし、13日東京−岡山は前日の野球の練習で熱中症になったらしく頭痛と吐き気をこらえながら。 16日岡山−東京は入れ代わり立ち代りの旅にかわいい女の子を捜してはガールズウォッチング。 と、思索に耽るという当初の目的を果たすことなく旅が終わってしまいました。
意気込んで買った「国家の品格」は一章も終わらず、読めずに溜めていた新聞はようやく半分ほどに。空いた時間は録画ビデオを見るか音楽を聴くか、と自分の部屋にいるのとたいして変わらない時間をすごしてしまい、果たして青春切符で規制した意味はあったのかと。

とは言え、飯はうまいし東京みたいに蒸し暑くないしやっぱり故郷は良いなぁ、とありきたりなことを言ってしまう。 穴子の炭焼きにマスカット、これが冬なら茹で牡蠣に酢なまこと瀬戸内の幸が一番のご馳走だなぁ、とも。

まぁ、田舎礼讃は東京で働いていることの贖罪でもあるわけだが。 社会人1年目だというのに母親が「岡山県職員の求人があったよぉ。受けてみん?」とか言う次第なもんで。

働くなら東京が良い。就活のときから思っていたけど「情報感度」がぜんぜん違う。 ネットやメディアが発達していつでもどこでも情報を得られるけれども、世の中の趨勢を敏感に肌で感じ取るには東京にはかなわない。 岡山だとどうしても鮮度の落ちたものになってしまう。

「情報に踊らされている」とも言われそうだけど、20代はそれでかまわないんじゃないかな。 大量の情報に触れて大量のストックを持っていて、10年後20年後に腐ることなく美味しく発酵した情報が自分のものになったということだと思うから。