素食の晩餐 FAKE FOOD

「お前、それが何か知ってるか?」
「鰻だろ。それぐらい俺だって分かるさ。」
「違うな。そいつはグルテンとシイタケを素材にして作ったニセ鰻料理だ。」
「え?」
「台湾素食、いわゆるスーシーってのは古来一部の僧侶たちが独自に編み出した特殊な料理なんだ。」
「精進料理みたいなもんか?」
「まぁな。だが日本の精進料理と違うところは、素材をそのまま調理せず、豆やキノコの類を細工して肉や魚を再現しているところにある。お前さんが食い残したそのサンドイッチと同じようなもんだ。」
「お・・・ホントかよ。」
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「でもさ、なぜ台湾の坊さんはそんな面倒な料理法を思いついたんだ?初めから肉の味を知らなきゃそんな必要ないわけだろ?」
「そりゃそうさ。だがな、誰だって仏門に入る前はなんでも食えるんだ。いくら修行の身でもそのころの記憶を消すことは出来ねえよ。」
「なるほどね。でも、やけに詳しいんだな。もしかして、旦那も本物の味が懐かしくなるとか?」
「たとえサイボーグでも脳が求める食欲はある。だからこそ娯楽としてのサイボーグ食も作られるってことだ。」
「過去の記憶を思い出すための再生装置としての味ってことか。」


残念なことに攻殻オールナイトのチケットは取れなかった。
http://kokaku-sac.xrea.jp/theatres/index.php?FrontPageWikipediaのほうにも「後に・・・」ってまだ一日も経ってないのに)
ので、台湾素食を食べに行ってきました。


ニセ鰻料理はありませんでしたが、魚の甘酢和え、豚肉と青梗菜の炒め物、牛肉とトマトの炒め物、五目焼飯のFAKE FOODを食べました。
やはり美味しさは本物には劣るものの、食感と味と見た目は魚や肉そのもので、一体どうやってつくっているのだろうか、と何度も見入ってしまいました。


アジアの雰囲気が好きな理由に「アウェイ」を感じないというのがある。
AUSやNZは英語母国語圏とは言えど地方に行くとよく分からない訛りや言い回しを使うので、コミュニケーションがうまく取れないこともあり疎外感を感じることがたびたびだった。
しかし、シンガポールの中華街や香港をウロウロしていると中国語で呼びかけられたり、空港や駅での英語の訛りもアジア訛りというか聞きとりやすくコミュニケーションがとれることもあり、なんとなく受け入れられている感じがあるのだ。
(私は外国の人と日本語を話すときはなるべく分かりやすい日本語を発音良くゆっくりと話そうと心がけている。英語でコミュニケーションをとるときも同じだとは思うのだが、英語圏で地方の人にはさっぱりこの意識がない人が多かった。)
バンコクやクアラルンプールで感じたカオスと同じものを、渋谷や新宿で「ここもまた、全てが生み出されるようであり、同時に全ての終わりのようだ」と感じることができる。


その世界観はまさに攻殻に出てくる難民街やストリートマーケットそのもので、自分にとってはそのカオスこそが「過去の記憶を思い出すための再生装置」になっている。


>たとえサイボーグでも脳が求める食欲はある。
この言い回しは第2話「飽食の僕 NIGHT CRUISE」でギノが「なぜ食いたい?必要ないだろう?」と嘔吐する場面から繋がっているところだな。